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【芳麗・女と文化の話】いつも身近に愛が溢れている!AIが語る、自分から愛を発する生き方 のメイン画像

今月のゲスト:AIさん

今年、記念すべきデビュー20周年を迎えた、AIさん。愛に溢れる歌を圧倒的な表現力で歌い続けてきました。いつも太陽のように明るくてファンキーなAIさんも、実はアラサー時期は、アーティストとして、1人の女性として悩んだこともあったそう。アラサーからの人生について、愛と幸せを掴みとるコツについて聞きました。

Point!〝自分探し〟の長い旅 自分を愛して変わった音楽と人生

芳麗 デビュー20周年おめでとうございます。実はデビュー当時のAIさんに何度か取材したことがあります。

AI うわ、そうなんですか!まだ、この世界のことが何もわからなくてめっちゃ戸惑っていた頃ですね(笑)。

芳麗 あの頃からすごくエネルギーとオリジナリティがある人だなという印象でしたけど。最新作『I’TS ALL ME – Vol.1』を聴いて、より成熟しているなと。大きな愛を感じたと同時に繊細で多面的だなとも感じました。

AI 今、世界中が混乱する中、世界を愛で繋げたいなっていう思いで作りました。タイトルの意味は、「すべて私」。今までの自分の曲を聴いて、1つの言葉には絞れないなと。様々な音楽を愛しているし、表現したいし。人としてもね、楽しくてよく喋ることもあるけど、一方、すっごく落ち込んで立ち上がれない日もあるから。

芳麗 後者のイメージはないですけどね。

AI そんな私もいます(笑)。今でこそ、強くなりましたけどね。自分のいろんな面を愛せたらいいし、聴く人もそうあって欲しい。私も自分を愛せない時期が長かったから。

芳麗 そうなんですか?

AI ここ数年で自分を理解できるようになってきたけど、出産前はもっと未完成でした。デビュー当時なんて「私の声はどういう声か」とかそこから探していましたね。子どもの頃は、ただ純粋に歌が好きなだけだったけど、デビューしてプロとして自分の曲を作って表現することになったとき、「自分とか何か?」を初めて深く考え始めるわけですよ。

芳麗 なるほど、そうですよね。

AI 私の場合、日本の音楽業界に慣れなくて混乱していたのもあったと思います。子どもの頃からゴスペルを教会で学んでアメリカのHIPHOPとかR&Bを聴くのが好きだったから。頑張って曲を作っても「洋楽っぽすぎる」と当時のスタッフに跳ね返されて。

芳麗 洋楽っぽいと、日本ではウケないと?

AI そうそう。当時、私が大好きだった2Pacやドクター・ドレーなんて「日本じゃ誰も知らないよ」と全否定されてしまって。アメリカでは国民的な大ヒットだったのに、ですよ。自分のスタイルなんてますます分からなくなりました。

Point!安室奈美恵ちゃんに誘われて初めての突破口ができた

芳麗 そんな葛藤があったとはつゆ知らずです。転機はいつだったんですか?

AI いくつもありますけど、外せないのは(安室)奈美恵ちゃん!SUITE CHIC(安室奈美恵の別名義プロジェクト)に誘ってくれて、一緒にテレビにも出る機会もいただいて。でも、ラッパーとして参加したから、世間的にはラッパーだと思われてしまって・・・。それで、また私は「シンガーなのに?」と混乱し始めましたけど(笑)。

芳麗 アイデンティティの混乱ですね(笑)。

AI でも、これは自分が悪い部分もあります。当時は日本のHIPHOPシーンが確立した時期でもあって、求められるがままにラッパーっぽく振る舞いすぎた!「YO! チェイチェーイ!」みたいなノリでテレビや雑誌に出ていて。一緒に出てた奈美恵ちゃんは、いつもクスクス笑っていて。当時は何で笑っているのかなと不思議に思ってたけど、今、映像を見るとわかりますよ。私、やり過ぎてた(笑)。

芳麗 あはははは!

AI その後も自分は何を歌うべきかを問い続けていて・・・。実は、’04年から’05年にかけては、精神的にかなり落ちていたんですよ。仕事場では普通に振舞っていましたけど、家では全く動けないほどローテンションでした。

芳麗 そんなに?

AI 何かきっかけがあったわけではないんですけどね。「これからシンガーとして、人間として、どう生きていこう?」っていう普遍的な悩みに落ちて。

芳麗 ありますよね。自分の中のバイオリズムって。

AI  はい。でも、あるとき、部屋で床に這いつくばっていたら、テレビから玉置浩二さんの「田園」が流れてきたんです。「生きているんだ!それでいいんだ!」っていう、あの歌唱を聴いたら、突然、涙が溢れて止まらなくなって。ああ、生きればいいんだと、急に力が湧いてきたんです。

芳麗 リアルに音楽の力ですね。

Point!大切なのは他者評価より、 自分自身が納得すること

AI  そうですね。それで、自分の中のトンネルを1つ抜けた先で、’05年に作ったのが「STORY」だったんです。

芳麗 ロングヒット曲であり、今なお愛されている名曲です。

AI  私はいつも通り、他の曲と同じように作っただけなんですけどね。この曲は、口コミでどんどん広がって行って、多くの反響をもらいましたね。それまで、私のリスナーってクラブに通うようなコアな人が多かったんですけど、この曲のおかげで老若男女の人に知ってもらえた気がします。

芳麗 たしかに、お茶の間にまで浸透しましたよね。

AI 「この曲に救われました」と丁寧なお手紙をくださるようなリスナーに出会えましたね。ただ一方、HIPHOP界隈からは、「sell out(売れ)に走ったな」と陰口を叩かれたりもしましたよ。

芳麗 えー!

AI 私は純粋に好きな曲をやっただけだから気にしなかったけどね。でも、こういうことがあって、強めのHIPHOPもメロウなバラードも好きなのが私なんだなと、改めて認識もできました。

芳麗 お話を聞いていて感じたんですけど、AIさんは荒波に揉まれるたび、自己が少しづつ確立されて行ったんだろうなと。

AI  きっとそうですね。2011年の震災を経て、自分は音楽で何が言いたいのかがよりはっきりしましたね。『INDEPENDENT』(2012年)というアルバムは自分が完全に納得できるものが作れて、ものすごい達成感だったんです。そのとき気づいたのは、他人の意見や評価も大切だけど、まずは自分の軸を持つこと。自分自身が納得することこそが、音楽にとってはもちろん、人生にとっても大事なんだなということ。

芳麗 自分を愛して受け入れるまでに、すごく長い旅だったんですね。

AI  今もまだその途中ですけどね。

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